今回は翡翠(ヒスイ)について、日本の玉の歴史と共にお話しようと思います。
翡翠と書いてカワセミと読む、水辺の美しい青い小鳥がいますが、 翡翠(ヒスイ)とは、深緑の半透明な美しい宝石の1つで、東洋で人気の高い宝石です。 古くから日本でも重用され、考古学的、地質学的に日本ならではの石であるため、2016年に『国石』に選定されました。
鉱物学的には「翡翠」と呼ばれる石は2種類あり、化学組成の違いから「硬玉(ヒスイ輝石)」と「軟玉(ネフライト : 透閃石-緑閃石系角閃石)」に分かれ、両者は全く別の鉱物です。 一般的に宝石店などで販売される石は硬玉の方で、価格的にも硬玉の方が高価です。
現在判明している世界最古のヒスイの加工は、日本国内の新潟県糸魚川市において約5,000年前(縄文時代中期)に始まったものであり、世界最古の翡翠大珠が同国内の山梨県で見つかっています。
縄文時代中期、日本海沿岸に「越」(こし)という古代国家があり、その後、越中、越前、越後とわかれます。「コシ」は中央アジアの古代語「カシ」(玉)が転じたものと考えられており、玉の採取、加工を特色にしたユニークな国家でした。
日本におけるヒスイ利用文化は約5,000年前の縄文時代中期に始まり、縄文人がヒスイの加工を行っていました。のち弥生時代・古墳時代においても珍重され、祭祀・呪術に用いられたり、装身具や勾玉などに加工されました。
越の地域は玉の原石に富んでおり、めのう(福井、石川)、オパール(石川)、碧玉(佐渡)、そして特に、糸魚川、青海方面のヒスイ輝石は当時、国際的な特産物でした。 交易品として海路を用いて広く運ばれたとされ、北海道から沖縄に至る範囲で1千箇所以上でヒスイの加工品が発見されており、また、糸魚川のヒスイは海外にも運ばれ、朝鮮半島からも出土しています。
半透明緻密で彫刻できる石を一般的に玉と言いますが、硬玉(ヒスイ)はもっとも堅牢で美しい、最高の玉とされています。古代社会では、立派な玉の製品を所有することが権力のシンボルでもあり、王族級の古墳からは越の国のヒスイ製品が出土し、出雲大社にも最高級のヒスイの勾玉が保存されています。 越が滅び、奈良時代以降には急激にヒスイの利用が衰退して全くみられなくなり、日本の歴史から姿を消しました。 そのため以後はヒスイの加工文化のみならず日本国内で産出することも忘却されており、奈良時代に忘れられて以降、昭和初期の1938年に約1,200年もの時を経て再発見されるまで、研究者たちは、日本国内の遺跡から出土するヒスイの勾玉等は海外(ユーラシア大陸)から持ち込まれたものだと考えていました。
現在、ミャンマーの翡翠が有名ですが、唐時代以降の開発のため、越の翡翠(ヒスイ)は、世界最古の可能性があるとされています。
現在の日本では5月の誕生石にエメラルドとともに数えられており、宝石言葉は「幸運、幸福」または「長寿、健康、徳」などとされています。 2016年(平成28年)9月には日本鉱物科学会により国家を代表・象徴する日本の国石と認定されました。
翡翠の色は白、緑、紫、青、黒などがありますが、糸魚川のヒスイは保護地区にあり採取が禁止されているため、市場に出回っている量が少ないです。
貴重な国産の美しい翡翠が、保護され、後世に石の価値と文化が継承されることを願っています。
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